徳川家康は幼年期、壮年期、そして晩年と3度の期間を駿府(現静岡市街地)で過ごしました。このうち壮年期と晩年には駿府を自身の拠点に定め、駿府城を居城として整備しました。特に晩年の「大御所時代」には、家康率いる「大御所政権」が江戸幕府の補助的機関として大きな影響力をもち、駿府城下町も政治・外交の中枢都市として栄えました。
静岡市観光交流文化局 歴史文化課
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/tokugawa/
駿府城では、天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的に、2016年8月から静岡市によって発掘調査が行われています。
2018年度までの調査では、天守台の規模や石垣内部の構造が明らかになりました。西辺、北辺、南辺に続き、南東隅で根石(石垣の一番下に据えられた石)が確認されたことから、天守台の規模が確定。慶長期の天守台は、南北約68メートル、東西約61メートルに及ぶことが判明し、これまで日本最大とされていた江戸城の天守台をはるかに凌駕(りょうが)する大きさです。
2023年には静岡市歴史博物館が開館
2023年には駿府城公園のすぐ隣に静岡市歴史博物館が開館し、徳川家康と駿府城、今川家の歴史が発信される予定です。
眼下に駿河湾を見下ろし、東に伊豆半島、西に御前崎を一望できる久能山には、徳川家康をご祭神としてお祀りする久能山東照宮があります。
久能山東照宮は、徳川家康のご遺命により、そのご遺骸を久能山に埋葬し、2代将軍秀忠公の命により創建されました。
久能山東照宮
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